恋じゃない(2)








 日向は自分がこんなにもストイックだったとは今日の今日まで知らなかった。いま小さなちゃぶ台状のテーブルを差し挟んで向かい合っている松山に、あの日以来キスどころか冗談で触れることも無かった。(乱闘は除く)
 練習メニューの記入されたコピー用紙をのぞきこむその瞳は、濡れたような睫ともども黒々としている。キツク吊り上がっているのに人を惹き付けてしまうのは、その大きな黒目がいつも何かに興味を寄せて輝いているからにちがいない。見付けた何かに向かって、いまにも走り出しそうな瞳をいつもしている。思わずその先を一緒に覗き込みたくなる。
 そんな松山の瞳をめずらしく伏せがちな角度から見ているうちに、日向は初めて抱いた松山を思い出してしまった。
 ぎゅっとつぶられた瞼の先で、実際に滲んだ涙で濡れた睫が震えていた。体のあちこちが同じように力の入れ過ぎで小さく震えている。掴み寄せたシーツに横顔をうずめ・・・・・
「日向?聞いてんのか?」
 言葉と同時に拳が額より少し上にゴツッと音を立てて勢いよく入る。松山はじつは誰彼構わずこうだった。ツッコミがグーなのだ。ちょっとカワイイ(と言うと本人は暴れるが)外見から松山の性格を予想してしまった奴等は慣れるまで時間が掛かったようだ。
 松山はばさばさとコピー用紙を束ねると、ま、こんなモンかなと日向のほうに抛った。
「やっぱ東邦ってサッカー部すげえ人数な。学年ごとにこれだけメニュー変えていけるんだもんな」
 紙パックのオレンジジュースの残りを飲み干し、窓側の机の横にあるゴミ箱に器用に投げ入れる。途中で脱いだジャージを拾うと松山は立ち上がろうとした。途端、日向に強く腕を掴まれる。
「なんだよ!!」
「今日、若島津外泊なんだぜ」
「は?」
「親父さんが盲腸で見舞いなんだってよ」
 そう言いながら、呼吸の掛かる位置まで顔を寄せる。
「それがどうしたんだよ!!」
 わけのわからないままただ至近距離の日向の顔にドギマギしてしまい、悔し紛れに語調を強めると、立ち上がろうとした松山を日向が一気に押し倒した。唇を重ねたまま。

「・・・っ」
 触れているだけのキスなのに、息を詰めてしまい心臓の音が耳の中でドクドクと響く。思わず口で大きく息を継いでしまうと、クスリと日向が笑みを落とし舌を絡めてきた。慣れない行為にどう抵抗したらよいのかわからない。そのやわらかな感触に噛み付くことも出来ず、ただ体を硬くして口内を逃げた。ぎゅっと瞼に力を入れている松山とは反対に、その様子を堪能していた日向は自分を押し遣ろうとしている松山の両腕の下に掌を潜らせ、Tシャツの下に手を差し入れようとした。
 一瞬の動作の変化に意識を取り戻した松山は、不利な体勢ながら日向の腹を膝頭で強く蹴り上げると横に放り出されていたジャージを掴み直しドアへと向かった。
「・・・?!開かない?!」
 ガチャガチャとドアノブを回し、焦りで一瞬汗が引くのを感じた松山は力任せにドアノブを回し続けた。
「オマエのバカ力じゃ壊れるだろうが」
 右手で腹を抱えうずくまっていた日向が腹を抱えたまま、いつのまにか横に立っていた。
「内鍵」
「あ・・・っ」
 そう言われてドアノブに目をやると、確かに内鍵が横に回されていた。自分の余りにもの狼狽振りに松山は顔を真っ赤にする。外そうとしたした右手を背中から抱え込むように日向に掴まれ、そのまま足を払われて松山は日向の腕に凭れ込んだ。日向に抱え上げられ、ベッドの下段に押し込まれる。
「テメッ何考えてんだよッ」
「松山と同じこと」
 ありきたりな解答に怒りで血を上らせた松山は日向に掴み掛かろうとしたが、逆に力余ってかわされてしまい、背中に右手を捻り上げられてしまった。
「・・・っ」
 日向がわざと耳の中へ息が掛かるように話し掛ける。
「嫌なのか?じゃあこの前のセックスは?やってみたら嫌だったからもうしないのか?」
 そう言って耳たぶをひと舐めすると首筋に跡がつかない程度に唇を這わせていった。
 松山だって忘れていたわけじゃなかった。だけど思い出すのが恥ずかしくって、頭を振って無理矢理考えないようにしていたのだ。日向もあれから何も言わないので、このままもうしばらく、もとのように振舞おうと思っていたのに。
 空いているほうの手でTシャツごしに小さな乳首を指先で摘ままれ、ジンとした甘い痺れが駆け抜ける。
「ばかっ、こんなトコでさかってんじゃねえ!隣のヤツに聞かれたらどうすんだよ!」
「オマエのアノ時の声を?」
 再び顔を真っ赤にした松山が力の限り暴れるのを、起き上がり体勢を立て直して押さえ付けた日向が続けた。
「気付かなかったのか?ここ相当防音いいんだぜ。よっぽどスゲエ声上げなきゃ聞こえねえよ」
 馬乗りになるかたちで松山の腕を押さえ付けた日向は脱ぎ捨ててあった制服のカッターシャツに手を伸ばしながら松山のうなじにキスをした。
「ケダモノにならないように、結構我慢してるんだぜ」
 そう言って日向は松山を仰向けにかえすと両腕を揃えるように掴み直しカッターシャツで器用に頭上の柵状のヘッドボードに括り付けた。予想外の日向の行動に、松山は抵抗しそこなってしまった。

「テメッ卑怯だぞ!男として恥ずかしくないのか!」
 自分の取らされている恥ずかしい体勢に胸元まで薄っすらと朱をそそぎながら、松山はギンと射るような視線をぶつけてきた。
「あんまり暴れんなよ。手首に跡が残るぞ」
 肘の内側からぞろりと撫で上げるように松山の腕に手を這わせ、キツク結わえ上げられた結び目を手首ごと掴むと日向は覗き込むように松山を見詰めた。そんな風に触れられただけで感じ始めている、自分の体に松山は動揺した。
「ハッキリ言って、全開で抵抗してくるオマエを押さえ付けながらヤるのはオレでも無理だ。だが寮住まいで都合よく二人っきりなんてチャンス滅多に無いからな。暴れないで協力するって気になったら解いてやるよ」
 言葉通り、日向は体重を掛け膝を乗せてきて下半身の動きも封じている。
「オレに触られんのがどうしても嫌だって言うんなら、やめるけどな」
 そう言いながら掠めるようなキスを幾つも頬に落としてきた。
「オレは、オマエとしたい」
 耳元までキスを落としながら運ばれた唇が、本当は松山の腰を重くする独特の重低音で囁いた。
 こんなやりかたは卑怯だと思う。だって、こんな風に自分が惹かれて仕方がない情熱で求められたら抗いようがない。だって、拒む理由がないのだもの。
 日向に教えられてしまった、痺れるような、熱のやりとりを。
 ただまだうまく受け止めることが出来なくて。








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