恋じゃない 受話器を壊れろといわんばかりに叩きつけ切った。 そのまま机の上にあったケイタイも壁に叩きつける。外殻が壊れるプラスチックの重く乾いた音が響いてベッドに落ちた。 シーツの影に隠れたケイタイに目をやり肩で息をすると、電話の向こうにいた寮監を少し気の毒に思った。自分があたりかまわず部屋に当り散らしたのが、彼が受話器を置いてからだといい。 でもそんなのどうでもいいじゃないか。こんなこと考えるなんて。 こんなの恋じゃない。 松山はベッドからケイタイを拾い上げると学校指定のピーコートを掴み階段を降りた。除雪が追い付かず圧雪状態になっている道路にスニーカーは滑るから、レッドウィングのブーツを履く。居間の奥、キッチンから母親が自分に向かって何か言っていたが、松山は無視して玄関を出た。 何もかもが面白くない。こんな気持ちにはなったことがない。全部アイツのせいだ。 そう、日向小次郎の。 U18の合宿が終わって、何ヶ月もの間日向は寮の電話に出ることがなかった。何度掛けても不在だった。頭にきた松山は若島津に一度掛け、無理矢理日向を呼び出させようとしたがこれも無駄だった。 自分をこんな気持ちにさせておいて。そのくせ当の本人は話を聞こうともしない。それどころか松山光なんて存在はこの世に存在しないといったシカト振りだ。 次に会った時には絶対ブッ殺す。たとえ試合に日向が必要であろうとそんなの関係ない。オレにあんなことをしておいて。 合宿の最後の日、後は荷物をバスに載せるだけ、という時間に日向はフとドアに鍵を掛けた。ガチャリという音に一瞬振り向きそうになった松山だが、集合時間に遅れて眉をしかめる三杉が頭をよぎりベッドに散乱したジャージをカバンに詰め続けた。背後に人の体温を感じた瞬間。視界が一転した。 片膝をベッドから下ろし体は窓を向いていたはずが、眼前の日向の向こうは天井だった。そのまま抗う間もなく唇を奪われる。本当に頭の中は空白になった。日向の熱い舌が自身の口腔を犯してもなお意識が覚醒するのに時間が掛かった。不足してきた酸素に動揺とともに意識が戻る。 太腿に体重を掛け膝をのせられていたので、自由が利くのは両腕だけだった。手のひらは思うように動かず日向の衣服を掴めないので正面に捩じ込み日向の体を押しやろうとしたが、不要な関節に力が入るばかりでちっとも思った通りの作用は得られない。 ほんの隙をついてせめて呼吸をと身をよじる松山の後ろ髪を掴み、日向は更に深く松山の口腔を蹂躙した。苦しさとその他の感情がないまぜになって涙が滲む。廊下のスピーカーから集合のアナウンスが流れた。 あれから自分は。洗面台にかけこみ何度も顔を洗ってから、バスの最後尾の片窓を陣取った。空港から実家に帰るまで、誰とも話していない。 だのにアイツは、詫びるどころかその影すら見せようとしない。イラつくこの胸を、流すすべを与えようとしないのだ。 ポケットの中のケイタイを握り締める。先程の衝撃でヒビの入った外殻がミシミシと音を立てるが、さすがに砕けはしなかった。もう一度、今度は道路に投げ付けようかと思ったその時、ひとつ向こうの電柱より少し先にありえない人物をみとめた。 「テメエ!!日向!!」 言うがはやいか松山は走り出すとそのままの勢いで日向を殴り付けた。奥歯の一本も折れておかしくない殴打だった。それでも右足を引いてよろけただけの日向は拳と奥歯の間で切れた頬の血を吐き捨てると、薄く笑いを浮かべたまま「よお」とだけ告げた。 怒りのままその場を立ち去ろうとした松山の後を、ゆったりと、だが遅れることなくついてくる。堪りかねて口火を切ったのは松山のほうだった。 「何なんだよオマエは!!何でここにいんだ!!何で電話に出ねえんだ何で・・・!!」 松山の口に錆びた血の味が広がった。雪がちらついているのに頬が熱い。感情がコントロールできない。重ねられた唇の横を伝いコートの襟にぼたぼたと涙が落ちた。 「何なんだよっ」 ぐいと日向を押しやると背中を向け再びスタスタと歩き出した。 「ここどこだと思ってんだ。田舎は町中知り合いだらけなんだよ。オレは明日から町中で噂のホモになっちまうじゃねーか」 「今のは挨拶のキスだろ」 「オマエはイタリア人か!!」 「何でイタリアなんだよ・・・。松山、オレ、ホテルまでの帰り道わかんねえんだけど」 「タクシーでも拾え」 「ここでこの前の続きしようか?」 振り向かず歩き続けていた松山が、ようやく足を止めた。 「オマエも来いよ。結構いい部屋だったぜ」 罠だとわかっていても。この激情をともなったイライラを捨てられるならどんな方法でもよかった。イチバン近い道を驀進してしまう、自分の性格をフとかえりみながらも今はそれがイチバン妥当だと思った。 本当は、わかっていたんだ自分の気持ちなんて。 ホテルの部屋は確かに素晴らしかった。見慣れた故郷の景色も、地元だからこそこんなホテルの上層階から眺めたことはなかった。白と灰色と・・・モノトーンの凍えた視界。だのに自分達が居る室内は過ぎることなく空調が整えられている。暖かな室内。 日向は雪の降り積もったコートをバサリとほろうとそのまま窓側のシングルソファーに投げ出した。 「・・・。ちょっと待て。何コートの下も脱いでるんだよ!!」 日向はコートを脱ぐとその下のタートルネックの黒いセーター、グレーのTシャツと次々にベッドの端に投げ出した。 「シャワー浴びるわけじゃねえぜ」 「・・・」 「オマエは脱がせてもらうほうがスキ?」 一気に頬に朱を昇らせた松山が、乱暴にコートを床に投げ捨てた。 自分が何をしに来たのか思い出す。そう、オレは確かめに来たのだ。 イライラする。ムシャクシャする。腹が立っている、そう、でも日向のことが頭から離れない。ベッドの中で、眠れない夜の裾で、あの日のキスを思い出してしまう。そうして胸の中心に向かって、何かが締め付けられるのだ。その訳を、その体で教えて欲しかった。 「んっ・・・」 向かい合わせにベッドにのると、唇を重ねるだけのキスで腰から下が重くなる。日向の熱い舌に促され唇をひらくと、瞼にも一気に熱が溜まった。後ろ髪と顎に手を添え、日向は思うような角度で松山を貪る。日向の身に縋り付く衣服はなく、松山は手近にあったベッドカバーを握り締めた。まだ乱れていないシーツには、指先ひとつ掛からない。 顎に添えていた右手を鎖骨、体の脇へと動かしながら日向は迷いなく松山の中心へと手を伸ばした。他人に触れられたことのないカラダでも、確実に快感を得られる部分。初めて見せた脅える震えに、松山の意識を分散させようと求める唇のテンポを落としやんわりと舌を絡めると、痛みを与えぬよう自身の手のひらには意識を集中した。 日向の手のひらが時折腹部に触れると喉を反らしビクリと震える。そんな自分の体に松山は驚いているようだった。片手で肩を抱き込むように腕を回し反らされた喉へと唇を移す。 こぼれそうな吐息に混ざってあがりそうな声に戸惑い、松山は右手の甲を口に強く押し当てた。その乱れた呼吸が既に日向を煽っていることに松山は気付いていない。重ねられる体の間に、熱いカタマリがあることにも気付く余裕がなく。 松山の中心に直接的な快感を与えながら、日向は徐々に愛撫をひろげていった。耳元に、首筋に、肩口に、啄ばむようにキスをほどこす。いつのまにか、耳慣れない喘ぎを何とか食い止めようと口を覆っていた右手は掴まるように日向の腰に回され、肩に凭れ込んできた額の下では羞恥心に揺さ振られながら断続的にくぐもった声が漏れていた。 与えられた快感をすべて拾い上げてしまっていることを、その手のひらで日向は知っているのだと思うと松山は顔を上げられなかった。大きな手、その筋張った硬く長い指先を意識するだけで更に腰が重くなる。だが日向も松山が零してくる熱い吐息に胸元を濡らされ、抑えていた欲求が突然駆け上ってくる衝動を何度も遣り過ごした。メチャクチャにしたい。本当は今以上に。 背中に今まで感じなかったヒヤリとしたシーツの感触を感じると、再び日向の唇が重ねられた。日向の両脇から背中に腕を回し,抱き合うと深く口付ける。 もう、疑う余地はなかった。信じる信じないという段階ではない。 日向がスキだ。 このようなかたちで認めさせられたのは不本意だけど。過ぎたことにはガタガタ言わないのが自分の主義だ。 自分が求めていたのはこのカラダだ。そして自分を求めてくる日向の熱い激情だ。 こんなの恋じゃない、そう思いたかったけど。それ以外の何なんだ? 日向の中指が今まで自分でも触れたことのない部分をなぞった。 もうどうにでもなれ。オレのどこかがきっと求めていたことなんだ。 カーテンを閉めるのを忘れていた。明かりが室内の風景を辿りながら大きな一枚ガラスに映る。近くのスキー場のナイターの照明が見えた。外はもう暗闇だ。 「帰んなきゃ」 そう呟いた松山の肩を日向が押しとどめる。 「無理だろ。泊まっていけ。渡す物もあるし」 「帰・・・」「!!」 肘をつき体を起こし掛けた松山が勢いよく枕に頭を落とした。 「な?無理だろ?」 噂で聞いたことはあったが勿論初めて体験する痛みだった。しかも腰の辺りが痺れるように重い・・・。 「・・・オマエ、夕飯何か買ってこいよ」 「わ〜、イキナシ食欲かよ。色気ねえなあ」 「るせっ」 床に投げてあったコートにベッドをずるずる這い進みながら手を伸ばし、ポケットに手を入れようとして途中でやめた。 「オマエのケータイ貸せ」 「オレに対してすべての発言が命令形なのはオマエくらいだぜ」 「いーから貸せ」 松山は母親に外泊を伝えるとそのまま日向のケイタイを床に投げ出した。 「乱暴だなマツヤマクンは」 「ウチ今日カレーだったんだぞカレー。今お袋が言ってた。オマエそれ以上のモン奢れよ」 「高いんだか安いんだかな・・・」 日向はそういいながらバスルームに向かう途中自分のカバンから茶封筒を出し松山に向かって投げた。 「それ記入しておけ」 「?」 「松本さんから預かってきた」 松山は日向がこのような高級ホテルに宿を取っていたことにやっと合点がいった。スカウト代理人といったところか。 「オマエがキャプテンやってるチームになんか行かない」 「じゃー全日本にも入れねえな」 「何でオマエがキャプテンの前提なんだよ!!」 「まあまあ。転入試験もないし。全部タダだし」 そう言いながら、日向はバスルームの戸を閉めた。 サイドボードに茶封筒を投げ、毛布を肩口まで引き上げる。自分の顔が、口にする程怒ってはいないであろうことが松山は面白くなかった。 胸のイライラが無くなっている。 こんなの恋じゃない。やっぱりそう思っていよう。 だってイライラが無くなったら、何だか悔しさが込み上げてきたから。そう思い、肩口の毛布を頭まで被りもう松山は日向とグラウンドで競り合う自分に思いを移していた。 END |