嫌いになってよ








 嫌いになってよ。
 オレのこと、アタマから離れないくらい嫌いと言え。どうなってもいいと思うくらい、嫌いって言え。
 オレのこと、特別じゃないのなら・・・


「それ、今週のサッカーマガジン?」
 同室の、同級の、どうってことない仲間の顔で松山が隣に腰を下ろす。あいうえお順で頻繁に相部屋になる、松山はロードワークのあと再びシャワーを浴びたのか洗い髪からぼたぼたと水滴が落ちている。
「な、次見して?」
 返事をしないオレの顔を覗き込み、誰もが好む親しげな視線を投げ掛けてくる。黒目がちな松山の目。
 なお返事を返さないオレに意地を張り、更にその肩を寄せてきた。まだ火照っているその体から、湯気とともに石鹸の匂いが立ち上っている。オレの肩に腕を乗せ、あからさまに雑誌を覗き込む。オレにシカトされて、ケンカを売ってでも気を引こうとするのは松山くらいのものだった。
 そのことに気付いてから、オレがやたら松山をシカトするようになったことに当の松山は気付いていない。
「日向、めくるの遅い」
 オレはもう読んではいない雑誌にただ視線を落とし、背中に感じる松山の立てた片膝の体温を感じていた。
 指先で頁の隅を弾く松山。そんな子供じみたちょっかいをかけてくる松山よりも、本当はオレのほうが子供じみている。こんなふうにかまってほしくて、わざと意地悪している。
「あ、マエゾノ選手の記事載ってる」
 オレにちょっかいをかけていることをもう忘れ、すぐに記事に熱中してしまう松山。松山は好きなものが沢山あって、その時その時にそれだけに熱中していて、まったく思い通りにいかない。松山だけが、オレの思い通りにいかない。
「ガツガツしてるひとってカッコイイな」
 湿った前髪のところどころ束になった間から・・・長い睫毛が見えた。すぐ鼻先で、松山のいつも使っているシーブリーズのハッカの匂いがする。
 これが女なら、誘われただなんて言訳も通用したかもしれない。男なら、そんなことを思い付くほうがオカシイだろう。だからきっとオレはオカシイんだ。
 オレは勝手なことを頭の中で並べ立てて、そしてそんな頭の中でばかり喋り続けている自分に耐え切れなくなっていた。本当は、もっとずっと前から。
 嫌いになってよ。
 オレのこと、アタマから離れないくらい嫌いと言え。どうなってもいいと思うくらい、嫌いって言え。
 オレのこと、特別じゃないのなら・・・
 オレは松山の後ろ髪を掴み、きょと、と顔を上げたヤツが瞬きをする前に唇を重ねた。
 松山は目を見開いたままだった。反応が無いので舌を差し入れると、ビクリと身体を強張らせたがされるまま動けずにいた。
 肩で息をしている松山をシカトし、ゆっくりと舌先を擦り合わせる。
「んっ・・・!」
 後ろ髪を掴んでいた左手で強く唇を重ね、貪るようにキスを深めると我に返った松山が暴れだした。
「はなっ・・せっ!」
 ドンッと突き飛ばされベッドに片肘をつく。突き飛ばした当の本人は唇を手の甲で拭い、その濡れた感触に一気に顔を紅潮させた。
 ごしごしと、いまだ唇を拭っている松山にオレは自嘲的な笑いをこぼした。
「はじめてってヤツだった?」
「ウルセエよ!!」
 右足の裏で強く蹴り飛ばされたが、今度は突き飛ばされなかった。ゆっくりと、覆い被さるように松山に近付く。
「なんだよ」
 怯んだような松山の表情をはじめて見た。
「オマエ、オレのこと嫌いなんだろ」
「嫌いに決まってるっ」
「オレもだ。オマエの嫌がること、メチャメチャ楽しいもん」
 なに?と口にしかけた松山の手首を掴み、そのままベッドに押し倒す。今度は最初から、舌を差し入れ激しく貪った。
 松山は再び何が起こったのかわからず、呼吸の仕方を忘れたようにせわしく息をしていたが、合間にやっと声を上げた。
「やめっ・・・! はなっ・・んっ・・」
 鼻から抜けるような甘くくぐもった声を自分が上げていることに、松山は更に顔を紅潮させオレの下で暴れる。
「どうした? 押し返せねえの?」
 関節に体重を掛けて押し倒しておいて、わざと挑発的な言葉を吐く。耳元で擽るように囁き、Tシャツをたくし上げながら脇腹を撫でるとビクリと再び身体を強張らせる。
「感じてんの?」
 わざと、そういうふうに触れておいて嘲るように問い掛ける。
 オレのこと、嫌いって言え。
 そんなことを、再び考えた次の瞬間強烈な膝蹴りを食らった。一瞬鳩尾に入ったかと思った。続けざま左頬を思い切り殴られる。きちんと狙う余裕がなかったらしく、前歯に近いところに当たり口の中が切れた。安物のスプーンを口にした時のような、鉄の味が広がる。
 唇を拭うと赤い血が右手の甲に付いて、思ったより血が出ていることに少し驚いた、多分その血の色でオレの中の野生が目覚めた。
「あ・・! んっんうっ!」
 本当に嫌がっている松山に強引に口付ける。指の跡が残るほど強く顎を押さえ付け、わずかでも顔を逸らすことを許さない。性欲を感じさせる舌の動きに松山の本能は気付いたようであった。途端動揺した指先がオレのTシャツを掴み必死に引き剥がそうとしている。だがオレは更に強く舌先を擦り合わせ、ねぶるように這わせた。舌先が触れ合う度に、松山の身体はビクビクと反応し指先はTシャツを放しては掴んだ。
 唾液に混ざり松山の頬を伝わった血を舌先で辿る。そのまま喉仏をひとなめすると、ゆっくりと寝巻き代わりであろうハーフパンツを膝まで下ろした。
 「ウソだろ?」という表情で松山がオレを見上げている。オレは黙ってトランクスに手を掛けると、松山と目を合わせたまま同じく膝まで下ろした。
 当然反応してはいない松山自身に視線を移し、ゆっくりと手のひらに含む。ビクンッと大きく松山の身体が跳ねた。
「いいのか? ヤッちまうぜ?」
 松山が動けないのは。
 恐怖や嫌悪ではなく、驚きだろう。
 同性の友人に犯されるなんて、抵抗できるできない以前に考えたこともないだろう。
 ゆっくりと手のひらを動かすと。松山の指先がギュッとシーツを握り締めた。
「・・レのこと、嫌い・・から?」
 松山が、言葉を口にしようとすると一気に乱れそうになる呼吸を抑えながら、途切れ途切れに問い掛ける。
「そうだ、嫌いだから」
 だが、ぎこちなくオレの頬に触れたその指先に次の瞬間驚愕した。
 オレの頬に。オレの頬を伝わる水滴・・・に・・・?
「何で泣くの?」
「誰がっ・・・」
 驚き瞬いたオレの目から、松山の顔にパタパタと水滴が落ちた。大きな水滴が、松山の頬に、瞼に落ちてはシーツに零れ落ちた。
 だがオレは零れ落ちるその水滴を見ても、自分が泣いているということは理解できなかった。
 松山は、ゆっくりと起き上がるとちょいちょいと指先でオレの涙を払った。「止まらない・・・」
 どうやらまだ零れ続けているらしいオレの涙にそう呟くと、もう一度ちょいちょいと水滴を払った。そして伸び上がり・・・ぺろりと舐めた。
「怪我じゃねえんだからっ」
 そう言ってギャクギレしたオレに押し退けられると、今度は唇をぺろりと舐めてきた。
 いや、舌を入れてきた。
 松山にもこんなキスができたのかというディープキスだった。だが考えてみればそれは当然で、されるよりはする立場の性なのだから。
 松山はオレの後頭部に手のひらを回し・・・傾けた顔の角度と伏せられた睫毛にオレは黙って見蕩れていた。ゆっくりと、何度も何度も舌を絡めた。擽るように擦り合わせ。甘噛みしては互いに互いの舌を引き入れた。
「嫌いじゃない」
「え?」
「オマエがオレのこと嫌いならオレはスキ。スキならオレは嫌い」
 松山は、俯いて顔を隠したまま呟き終えるとグイッとオレの襟首を掴み寄せ、吐息が掛かるほど間近で掠れる呟きをもうひとつ落とした。
「でもオレのことイチバン気にしなきゃブッ殺す」
 ショートパンツを上げ、転びそうになりながら「もう一度走ってくる」と言って松山は部屋を出ていった。オレは背中からベッドに倒れ込み、天井の升目を辿って端まで視線を流し、また元のところまで流した。
 できることならいまこの場で殺して欲しい。
 死んじまいたいほどカッコ悪いじゃねえか、いまのオレは。

 嫌いになってよ。オレのこと、特別じゃないのなら。
 ついほんのさっきそんなことを考えていたのにいまはもう別の考えで頭が一杯になっている。
 もう一度いまの言葉を口にして。もう一度キスもして。
 アナタのこと、ちゃんとイチバン気にしているから。

 嫌いになってよ。オレのこと、もっともっと特別にならないのなら。
 どんどん貪欲になって、戻れないところまで辿り着いてしまわないように・・・








END



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