はじまりのはじまり3




 その日はA代表の記者会見があり、懇親会もあってホテルを出たのは街灯とショーウィンドウのダウンライトで歩道が照らされた夜になってからであった。信号の赤と緑だけが色を添えている。新宿や池袋のような、賑やかなネオンがここにはない。
 久し振りに松山が寄っていく予定だったが、同じクラブの先輩に誘われ三人で上野でもう一杯飲んでいくことになった。青山や銀座ではなく、上野のどちらかというと学生の多い居酒屋へ誘ってくれるこの先輩が、オレは好きだった。二人で飲む時は、オレが遠慮するからと割り勘で飲んでくれるし、若島津や反町が一緒の時には奢ってくれる。オレは長男で、学生時代は常にキャプテンという立場だったので、兄貴みたいな存在に感じる人とはじめて出会ったような気がしていた。オレと違って頑固なところがなく、周りの意見を巧みに取り入れながらチームをまとめる人だったが、フィールドでは妥協や容赦がなく、そんなところにまた惹かれた。
 以前にも飲みにきたことのあるその上野の居酒屋は、わざわざ古材を使って建てられたという、古民家風の一軒家だった。3階に、男だと4人座ると壁にぶつかっちまうという小さな座敷が幾つかあり、時代劇の密談に使われそうなその小上がりに、松山もその時は確かにハシャイでいたはずなのに。
 なにしろ松山には人見知りというところがなく、すぐに打ち解けた飲みとなり、まるで松山のクラブの先輩と飲んでいるような気さえしていた。裏表のない性格が、年配の者にも好かれるのだろう。何度か代表で一緒になったことはあるが、こうしてサシで飲んだことはなく、今回の親善試合のことや、代表のことや、お互いのクラブのことで話題が尽きることはなかった。とはいっても、オレから話題を振るということはあまりなく、だがこの二人はそれを承知の上でオレと飲んでいるので、オレとしては気負いなくリラックスした飲みだったのだ。隣の大広間の大学生達の喧騒も、その夜はなんだか心地よかった。
 オレのアパートでもう一杯飲むことを正直に話したのも、その先輩が既婚者でいつもあまり遅くなることなく帰宅するのを知っての上であった。それまで賑やかだった松山が、急に喋らなくなったことに気が付いたのは、改札を過ぎホームで電車を待っていた時だ。酔っている者も、いない者も、整然と3列に並ぶそのホームで、松山は黙ってオレの前に立っていた。

「何怒ってんだよ?」
 裏表がないからこそ、こうして理不尽に腹を立てることの少ない松山が、喋らないどころかオレと目も合わさず、ショルダーバッグを提げた反対側の手をポケットに突っ込み黙々と歩く。それでも、足はオレのアパートに向かっている。
 こんな時、どうやって問い詰めればいいのかわからない。私生活であまり人と深く係わったことのないオレは、確かにコミュニケーション力に欠け、こんな時どんな言葉の遣り取りが必要なのかも思い付かなかった。街路樹の影と、街灯で白く浮かび上がるアスファルトの白線を目で追いながら、オレ達は黙ってアパートまでの道筋を辿る。いつもは駅から同じように帰途を辿るサラリーマンとも、これから駅に向かう学生とも擦れ違うことなく、国道をたまに抜けるタクシーだけが通りに音と光をもたらした。

 アパートの階段を昇る、乾いた革靴の音と、ロックを外す重たい音が寝静まった共有廊下に響く。狭い玄関にショルダーバッグを下ろすと、脱ぎ捨てた靴を揃えないまま松山がドカドカと部屋に入っていく。今日も窓を開けていったので、ブラインドがカサカサと揺れている。松山が閉めたままグリップを回し、風が抜けるようスラットを開くと、外からの明りで部屋がブルーグレイに浮かび上がった。
 玄関に立ち尽くしたままのオレを、戻ってきた松山が腕を掴み強引に室内へ引き入れる。揃いのオフィシャルスーツの上着を脱ぐと、ベッドの端に投げ靴下も脱いだ。緩めていたネクタイを首から下げたまま外すと、オレのワイシャツをネクタイごと掴み、ベッドへ座らせる。跨るように片膝をベッドに上げ、自分のワイシャツの袖ボタンを外しはじめる。手首を返すそのしぐさと、手元に落とす伏せた視線に正直ドキリとした。
 いつもはボタンの付いた服を着ない松山が、ワイシャツの時にだけ見せるそのしぐさにオレはいつもこっそり息を飲んでいた。上着を脱がない時にはアンダーシャツを身に付けない、その深い鎖骨が、胸元が、ワイシャツのボタンをひとつ外すごとに露わになる。ユニフォームのかたちに日焼けした、瑞々しいその肌。
 オレのネクタイもほどき、ワイシャツのボタンを外すその不器用な指先。俯いた眼差しを隠す少し伸びた前髪と、その前髪からのぞくオレの口元に視線の落とされたその眼差しに息が止まりそうになっていると、鼻先が触れ、顔を傾けた松山の唇が重ねられた。
 いつもの乾いたキス。触れた唇が、引き結ばれてはいないのがその感触でわかる。
 松山は、オレのベルトを外すと跪き、既に頭がもたげてしまった中心を取り出した。
「松山…ッ」
 躊躇いもなくぺろりと舐めると、そのまま先端を口に含んだ。思ったよりも息苦しかったのか、眉が僅かに寄せられる。それでも、まるで落ち着くようにと深く呼吸を繰り返してから、奥まで咥えようと頭を沈めた。松山の咥内でその呼吸にさらされるだけで、自分の股間に熱が集まりぐっと硬くなるのを感じる。なんだかんだ言って松山にさせたことはなかったので、口でされることがこんなにも自分を持っていかれる快感だということをオレは知らなかった。
 見よう見まねといった感じで、松山が必死に頭を上下させる。口を開けていられなくなり僅かに歯が当たったが、それさえも快感に感じた。
「松山…ッ、」
 松山の狭い咥内でたどたどしい愛撫を受けながら、オレの中心はあっと言う間に張り詰めてしまった。このままでは咥内で果ててしまうという焦りから、さっきより強く松山に呼び掛ける。スーツの膝を握り締め、息を詰めこれ以上張り詰めないようになんとか下腹部から力を逃そうとした。
 ヤバイヤバイと思っているその時、松山がオレから口を離し見上げてきた。口端からこぼれているのが、唾液なのかオレの先走りなのかわからなかったが、理性という言葉が頭の片隅から投げ出されるのを感じた。
 松山は、急にベッドの足もとに抛ってあったショルダーバッグをあさると、ピルケースのファスナーを開け小さなアルミの包装を取り出した。口に咥え、自らもベルトを外しトランクスごと脱ぐ。オレの上着も剥ぎ取ると跨り、前髪が触れるほど間近で向かい合った。
 アルミの包装を破ると、いまからソレを着けるのは無理なんじゃないかというオレの中心に被せる。かなり強引に、根元近くまでその丸まったゴムを伸ばしていった。
「今日は最後までする」
 言いながらオレのワイシャツの襟元を両手でそれぞれ掴み、肩から落としながら鎖骨に唇で触れてくる。顔を上げると、右手でオレの頭を強く抱き今日はじめての深いキスをした。互いの舌を合わせ、貪るように唇を合わせる。頭を抱いていた右手が、後ろ髪を掴みオレが少し仰け反るとまた舌を差し入れながら空いているほうの手をオレの中心に伸ばす。重ねられた松山の中心は熱く、松山でもオレで硬くなるのかと当たり前のことにいまさら気が付いたりした。オレも手のひらを重ねいつものように一緒にイこうとすると、松山がその手首をぐいっと掴む。
「イッたらダメだ。最後までするんだから」
 そう言って、もう片方の手のひらでオレの肩を掴み腰を浮かす。
「オマエがしなくても、オレがする」
 言いながらオレの中心を後ろにあてがおうとする松山を、オレは慌ててベッドに押し倒した。
「酔ってんのか?」
 酔っていないとわかっていて、だが何を言えばよいのかわからずどうでもよいことを聞いている。松山が、オレのうなじを引き寄せると、オレはあらがえずキスをする。うなじから指先を髪へ差し入れられ、地肌を辿られるのがどうしようもなく気持ち良く、オレも松山の髪に指先を差し入れた。怒っているような、でもどこか泣きそうな、それは悔しい時に松山が見せる表情。こんな顔を、負け試合以外にオレは見たことがあるだろうか。
 オレは、腹を括ると息をひとつ深く吐き、松山の顔の横に両手を置いて目を逸らさずに見下ろした。もう一度触れるだけのキスをする。今夜こそ後戻りできない。
 胸元の小さな突起に唇で触れると、思わずビクリと松山が横を向く。本当は、中心以外のシンボルで感じることに、少し不安を抱いている。そのまま肋骨の下辺りから脇腹、腰骨へと唇を這わせると、ビクビクと腰が浮くのを体を強張らせ抑えた。最後までするだなんて言っておいて、こうして高めるように触れられると竦ませた体を硬くする。いつもなら、強張った体がほどけ、反対に中心が蜜を溢しながら張り詰めるまで脇腹から背中までを繰り返し辿るのだが、今夜はそうもいかなかった。
 本当は、中心をゆっくりと唇で愛撫しながら、指先で少しずつその硬い蕾をほぐすべきだということもわかっていた。だけど、オレの腕を掴む松山の手のひらに、ぐっと力が籠められると、早くしろという松山の焦りがオレに流れ込んでくる。
 ただ肌を重ねながら、体温を感じるようなセックスが好きなのだと思っていた。多分そのことに間違いはないけれど、松山は繋がりたがっている。体の奥までオレが欲しいと思っている。
 膝裏をすくうように持ち上げ、松山の体をふたつに折る。胸の横まで膝を押し付けると、大きく開かされた太股の付根からゾクリと震えているのを感じた。こんな格好をさせられて、本当はいっぱいいっぱいの松山の鼓動が、胸を打ち過ぎて止まりそうな気さえする。
 まだ一度も、指先で触れたことさえないその奥にオレの中心をあてがうと、ゴムのゼリーでぬるりと滑る感触に松山の体が跳ねた。押さえ付け、そのままぐっと中心を捩じ込む。
「……ッッ!!」
 それまでシーツに投げ出されていた松山の手のひらが、ビクリと体が跳ねた瞬間思わずオレの腕を掴んだ。食い込むくらい強く掴み、肩を浮かし仰け反ったままぐっと体を強張らせている。
「松山、力抜け、」
 言いながら、オレの中心は頭さえ入っていない。そのままグッ、と体重を掛けると、くいしばる松山の歯が唇の隙間から垣間見えた。イク時とはまったく別の、痛みに寄せられた眉の上で汗に濡れた前髪が束になり額が覗く。ハッ、ハッ、と短く息をしながら松山は言葉も綴れずにいた。オレは、腰を進めることも引くこともできず松山の胸が大きく上下するのをただ見下ろし、そして、結局ゆっくりと体を起こした。
「なん…でッ…」
 傷付いた松山の表情に、昂ぶりが急速に萎えていく。
「できねえよ。無理なモンは無理だし、オマエの体傷付けてるってわかってて勃たたねえ」
「気持ちいいセックスじゃないとできないのかよ!」
 松山が、自分でもめちゃくちゃなこと言ってるとわかっていて、両腕で顔を覆った。
「挿れなくてもセックスはセックスだろ?」
 そんなこと、松山だって言われなくてもわかっている。交差するように顔を覆っていた腕を掴み、その内側に口付ける。慌てて松山が手の甲でこする、目頭にまだ涙が滲んでいる。
「オレと一緒にいない時のオマエにヤキモチやいたら悪いかよ」
「悪くない」
「全部オレのものにしたいと思ったら悪いか」
 悪くない、と言ってまだ悪態を続けそうなその唇を塞いだ。松山の中心は痛みにすっかり萎えていたが、汗で濡れたワイシャツの下に手のひらを這わせ、感じやすい耳の中にわざと親指を差し入れながら重ねるだけのキスを繰り返していると、その中心がまたゆっくりと頭をもたげ始める。
「松山、うつぶせになれよ」
 言いながら腕を掴み松山を起こすと、なんでと聞かれる前に体を返した。正座したまま、頭をシーツに押し付けるような格好で腰を上げさせ、ワイシャツの襟首をおろすと中途半場に腕が拘束され身動きできなくなる。腕を背中に回しているせいで、いつもより深い肩甲骨の影にオレの中心も再び頭をもたげ始めた。
「なに…?」
 少し怯えた松山の問い掛けに答えることなく覆い被さると、まだ膝に引っ掛かっていたスーツのベルトがカチャリと鳴った。だが、いまさら脱ぐのもまどろっこしい。
「嫌だったら、やめてもいいんだぜ?」
 そう言って、松山の中心をやんわりと握り込んだ。耳元に、わざと荒くなっていく呼吸を落とす。覗き込むと、シーツに額を押し付けた松山はぎゅっと目を瞑っている。ゆっくりと、握り込んだ中心を上下に扱くと、さっきとは別の濡れた短い吐息がこぼれはじめた。
「ァッ」
 松山が驚いて声を上げたのは、再び硬くなったオレの中心を後ろからあてがったからだ。袋に挟み込み、後ろから松山の中心と重ねて握り込む。
 ゆっくりと腰を動かし始めると、息を詰めた松山が横顔をうずめたままワイシャツから抜き出した手のひらでシーツを握り締めた。本当は、こういうセックスを象徴した動きは松山が嫌がると思って、理性で抑え込んでいた。快感だけを追いそうになる自分が怖くもあった。
 だけど、そんな格好悪いところを隠したまま、本当に抱き合うことができるのか?
「ッ、ッ…!」
 オレの腰骨がぶつかる度、松山が声にならない喘ぎを漏らす。いつか、重ねた唇で飲み込まなくてはならないくらい、松山が声を上げることがあるのだろうか。
 互いの中心を擦り合わせながら、オレは松山の先端を親指でなぶり同時に果てるよう強引にうながした。

 ハーハーと、乱れた呼吸を整えられず、松山が荒く肩で息をする。こんな風に、押さえ付け強引に抱いたのははじめてで、自分が抱いているのが後悔なのかなんなのかわからなかった。果てたその中心を握りずるりとゴムを外すと、ぞんざいにティッシュにくるんでゴミ箱に抛る。
 ベッドを下りると引っ掛かっていたスーツをトランクスごと脱ぎ、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。
「悪い。動物みたいだったな、オレ」
 そう言って、半分飲み干したペットボトルを松山に手渡す。脱ぎかけだったワイシャツからもう片方の腕も引き抜き、松山も何も身に着けていなかった。
「オレ、男に抱かれたいわけじゃねえよ」
 そんなことわかってるって、どう言えば伝わるのだろう。
「ただ、オマエがオレに抱かれるの、想像できないっていうか…オマエがオレにしたいなら、それでいいか、って…」
 言いながら俯いてしまった、松山の手のひらで弄ばれているペットボトルを取り上げると、屈み込んでもう一度キスをした。
「オマエ、喋んの苦手だからいつもキスするんだろ」
 呆れたようにへっと笑う松山に、返事の代わりにさらにもう一度キスをした。






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