僕という皿に載る君という料理








 グラスの氷が溶け出し、小さな泡のはじける音がする。日向のグラスには炭酸が注がれていないから、それはオレが昨日閉じ込めた、昨日の部屋の空気に違いない。
 日向のいなかった部屋の空気が、はじけ、ジンジャーエールと色だけは同じ液体を昇り、日向のいる今日の部屋の空気と混じり合った。
「なに見てんだよ」
「オマエが、オレを見てんのを。見てる」
「オマエなんか見てねえ」
 フッと笑みを落とすように目を伏せ、眼差しを引き立てる睫毛で切れ長の目尻までをおおう。
「ニヤニヤすんな。見てねえッ」
 本当は、ニヤついてたのは自分の方だとわかっていて不機嫌を装ってみせる、それもまた『負け』だと知っていて。
 何かの式典からまっすぐオレのマンションに来た日向は、スーツの上着をソファーの端に掛け、ネクタイを緩めワイシャツのカフスボタンも外している。そうやって、普段目にしない服装で現れオレを動揺し、続けざまに他人には見せないリラックスした自分を見せ、オレに優越感を与える。悔しいくらいヤツの計算通り、オレの感情は簡単に振り切れるメーターとなって振り回される。
 日向が腰を下ろす二人掛けのソファが、左斜め前にくるように置かれたシングルソファに腰掛け、オレは自分の部屋なのにずっと落ち着かないでいた。日向がここにいることに、こんなにも自分がウカれていることにずっと動揺している。どんなに口元を引き結んでも、顔を顰めても、ウカれている自分がオレの日向より色素の濃い黒目に現れ、グラスのバーボンにも映り込んで見えた。
 そんな自分に腹を立てたり、口元を引き結び直したり。
 それは、結局振り回されている。
「こいよ」
「オレに命令すんなって、何回言えばわかんだ」
 言いながらも、投げ掛けられる視線に落ち着かない。オレは、既に炭酸の抜けたグラスの中身を一気に呷ると、キッチンに立ち日向と同じようにロックにしようと注ぎ足した。
「氷がない」
 潤したハズの喉に、言葉が引っ掛かりオレはまた少し動揺する。
「後で買いに行けばいいだろ。こいよ、松山」
 日向は、こんな時イキナリ近付いたりしない。まるでオレを気の小さい猫かなんかだと思っているように、何度もオレに近付くことをわからせてから触れてくる。もしくは、そうやってオレを怒らせて、結局オレから日向に触れるよう仕向ける。サッカーじゃないんだから、勝った負けたじゃないことはわかっているが、それでもオレは嫌だった。
 負けたくない。オレは日向を支配したい。オレのものにして、オレがもうイラナイと言うまではオレのモノにしていたい。
 離れて暮らすことなんて、「だからどうした」程度に考えていた。離れている時も、そのことに変わりはなかった。
 なのに、玄関を開け日向を目の当たりにした瞬間、自分がどんなにさみしく辛い時間を過ごしていたかが津波のように押し寄せてしまった。昨日までの毎日は、まるでただテーブルに置かれただけの空の皿だった。
 オレは、どうしても日向が欲しくなっちまったんだ。アイツが何て言おうと、日向がオレを欲しがるよりずっと、もっと。
 中身の少ない頭で、オマエをどうやって独占してやろうと考えているかなんてことだけは、オマエにだって予測できねえだろう。オレは、バーボンをストレートのまま一口流し込むと、日向のグラスから氷をひとつ摘まみチェイサー代わりに口に含んだ。齧りながら日向に覆い被さり、そのままキスをすると溶け出した氷が日向の顎を伝わり、ワイシャツの襟を濡らす。そのまま、ワイシャツの襟をさらにくつろげ、顎から鎖骨へ、鎖骨から胸元へ唇を這わせる。日向はまるでオレの気紛れなんて気にしちゃいないといった表情で、ソファの背に片腕を預けオレを見詰めている。
 日向の膝の間に片膝を落とし、左手ではワイシャツの襟を掴み首筋に唇を這わせたまま、右手でヤツのベルトを外した。ボクサーパンツに手のひらを滑り込ませると、既に形を成した日向自身が指先に触れる。その熱い感触を手のひらへ行き渡らせるように包み込むと、オレはもう一度日向の唇にキスをした。
「今日はオレがする」
 そう言ってヤツの両膝を掴み跪くと、取り出した日向自身の先端に唇で触れ、一度ゆっくりと口に含む。フェラをするのは初めてじゃないけど、ヤツの硬さと熱さにはいつも驚く。添える手のひらに脈動が伝わり、オレに比べると平静とも受け止められるこの表情の、どのくらい奥でオレのことを欲しているのかと見上げずにはいられない。
 丹念に口付け、舐め、もう一度口に含む。最後まで含み切れない屹立に、銜え込む度反射的に声が漏れる。
「…う、んっ、んっ、」
 律動する頭にあわせ、途切れることなく。セックスの時に聞く自分の声は、堪らなく恥ずかしくていつも無暗に抵抗していた。フェラだって、見方によってはオレが日向にさせてるはずなのに、いつも「されてる」気がしていた。
 それはきっと。どれだけ自分が日向に支配されているか知らなかったから。そして、どれだけ自分が日向を支配したがっているか、オレだけが気付かず、与えられる快感に自分を繋ぎ止めることで精一杯だったから。
「…んっ、」
 慣れはしない行為に、顎が痛くなってくる。歯を立てないよう、舌で包み込むようにフェラをしているので、飲み込むことのできない唾液が日向自身と添える手のひらに伝わる。
「松山、もういい、」
 荒い呼吸を落とし始めた日向が、ゆっくりとオレの髪を掴む。
「なんで、だせよ」
 しゃぶるように横から唇を這わせ、舌先で裏筋を刺激しようとするオレの腕を掴み、日向は強引にソファーの上に引き摺り上げた。もどかしく無骨な指先でオレのベルトを二度ほど外し損ね、トランクスごと膝まで引き摺り下ろす。オレの唾液と、日向自身の体液で濡れる先端をオレに宛がう。
 そのまま一気に貫かれるハズだった。
 だが日向は、喘ぎながらも深く呼吸を繰り返すと、宛がう右手を離しオレに覆い被さりキスをした。それでも、隠し切れない荒い呼吸が口元で繰り返される。
「日向、しろよ」
「黙ってろ。明日立てなくなんだろ」
 既にキツく勃起していたオレ自身を包み込んだ手のひらをゆっくりと後ろに這わせ、そのぬめりを塗り込めるように中指を差し入れる。ゴツゴツした指の関節を感じ、触れられてもいない胸元まで間違いなく快感が駆け上る。このままじゃ、いつものようにどうしたらいいのかわからなくなっちまう。
「日向、してえんだよッ…」
 言い掛けたオレの唇を塞ぎ、日向が指の数を増やしてくる。
「あッ! ア、ア、…やァ…!!」
 抱きすくめ、耳の後ろの一番弱いところを唇で嬲られながら、中指に加え人差指を差し入れられ、気が付くと日向にしがみついていた。重なるお互いの中心が硬く、熱くて頭がオカシくなりそうだった。
「ひゅうがっ…ッ…」
 オレは、本当なら力の入らない膝に最後の気力を振り絞り、日向を抱き起こすとソファの端に押し倒した。
「松山?」
 すぐに上体を起こした、日向の不揃いな前髪も汗に濡れている。すっかり肌蹴られたワイシャツの胸元は、大きく喘いでいた。その取り出され、主張している日向自身に右手を添えると、先程まで指先の愛撫に震えていた箇所に宛がう。思い切って腰を落としたつもりが、先端すら銜え込み切れなかったのが自分でもすぐわかった。
「…!! テメッ…!」
 敏感な部分だけを締め付けられ、日向もキツく眉根を寄せている。それでも日向は、ヤツの肩に額を擦り付け、身動きできずにいるオレの腰を掴むとやんわり首筋に口付けてきた。
「バカが…ッ、力、抜け」
 オレは、浅い呼吸を繰り返しながら、それでも自ら腰を落とした。
「…ッ、スゲ、イテえ」
「当たり前だ、無茶しやがって」
 日向は、しがみついたまま締め付けているオレに、それでも耐えていた。
「日向、オレ、オマエが欲しい」
 肩口から少しずつ唇をずらし、日向の唇と重ねる。戸惑うような日向の視線を感じた。両足を日向の背に回し、体全体で日向を抱き締めながら、やっぱりオレが日向に突っ込めばよかっただろうかと考えていると、オレの腰を掴む日向の両手に痛いくらい力が込められた。
「マジで、明日は一日中立てねえぞ」
 言いながら、強く突き上げてくる。
「んンッッ!!」
 思わず歯を食いしばったオレに、噛み付くようなキスをする。
「オマエといると、振り回されっぱなしだ」
「あ! あ! ァッ…!!」
 誰が振り回されているって?! そんな言葉を綴る余裕もなく、オレは泣かされた。ただ、歯のぶつかるような激しいキスをする度に、苦しげなほど寄せられたヤツの眉根がオレの視界に入り、こんなにも奥まで強く突き上げられながら痛みはもう無かった。抜くこともなく体位を変え、何度も貫かれ、最後には気を失った。

「氷、作んなくていい」
 すっかり枯れてしまった咽喉で、オレはキッチンに立つ日向に声を掛ける。何時の間にか夜は明け、青白い室内で日向の姿だけがオレには浮き上がって見えた。
 今日を閉じ込める氷はもういらない。今もいつか過去になるなら、本物の日向を手に入れていたい。
「じゃあ飯作ってやる」
「いいから、こいよ」
 オレは、今朝はオレに命令されて腹立たしげに溜息をつく日向が、それでもオレのいるベッドを軋ませるのを黙って待った。やがて、昨日の新聞を拾い上げた日向が、オレに背を向け腰を下ろす。
 オレは、オレから日向へ波紋のように影を落とすシーツに腕を投げ出し、指先が日向に触れるのを確認して贅沢な眠りに再び落ちていった。








END



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